イエスの栄光
ルカ9:28-36

ペテロは変貌山の直前に「イエスはメシア」と信仰告白をし、イエスに「その通り」と言われました。このあとシナイ山で見たイエスの変容を通して、ペテロはこの「メシアなるイエス」を存在論的に知ることになるのです。

イエスを主と信じれば、他人の評価は怖くないし、気にしなくていい。なぜなら、イエスは常にあなたを愛しているから・・・とは言っても、実際他人があなたを悪く評価するとイライラするし動揺もする。それはあなたが、イエスは主であるという事実を存在論的に知らないからです。

そのためには神の栄光を見なければなりません。栄光とは重みです。神の栄光を見ると、神のことばが人間の言葉より重みをもち、人が言ったりやったりすることより、存在論的にあなたに影響を与えるようになるのです。

「これはわたしの選んだ子」という言葉は、イエスのみならず、あなたへの言葉でもあり、これを聖霊の働きによって聞かなければならないのです。それを目や耳で聞くのではなく存在の核心で聞くなら、あなたの人生の中に何か堅いものが現れます。それが神の栄光なのです。