教会って、みんなニコニコしていませんか。その理由の一つが、罪の重荷を、自分で担ぐのをやめて、床に降ろした人たちの集まりだからということは、ご存知でしょうか。すごく単純な理屈です。自分の罪は、自分で担ぎ続けないとだめだと、これは俺の責任で、どこまでも抱っこしていくぞ!と、皆どこかで思ってしまっているのです。でもイエスは、それを引き受けるためにこの世に来られ、十字架に掛かってくださいました。それは、この世のすべての人たちが、一人残らず救われて、永遠のいのちを得るためだと聖書は言っています。条件なし、区別なし、これが新約の世界です。 この一方的な恵みをただ受けるだけでなく、イエスに自分から近づきイエスの差し出すいのちのパンを頂く時、あなたの人生の旅がななつ星の電車旅行に変わります。このパンを日々食することが信仰生活、それ以外にありません。
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