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礼拝メッセージ

大いなる招き
マタイ5:1-12, 16:24

あなたは「自分を捨て、自分の十字架を負う」ということの意味を深く考えたことがありますか。それは、自分に徹すること。人まね人生を送らないことです。あの人のようになりたいと、理想を持ち、お手本にして努力することは良いことです。「学ぶ」という言葉は、もともと「真似ぶ」から来ているからです。でも、そのまま、自分に対する神のspecialなご計画を無視して、人の評価する自分、ああなりたい自分を目指すのは、人まね人生。それを捨て、自分に与えられた賜物に神のご計画を読み取り、そこに徹する人生にこそが「自分を捨て、自分の十字架を負う」人生なんですね。山上の説教の世界は、天の御国が舞台です。が、「自分の十字架」への招きは、そのまま天の御国への招きでもあります。まずこれに応答し、そこにある私たちの将来に約束された多くの幸い(たいやきの中のあんこ!)を楽しみましょう。