ザアカイは取税人という、すべてのユダヤ人から嫌われる仕事をし、大の嫌われ者で通っていました。イエスはいちじく桑の木の下から、その木の上にいるザアカイに目を向けて近づかれます。が、イエスは決して、ザアカイが友達もなく、不遇な状態にあるのを見て、それを憐れんで声をかけたのではありません。かえってイエスは、ザアカイが本来持っている彼の中にある最高の部分をみて、それを引き出してあげよう、生かしてあげようという思いで彼に声をかけ、友達になったのです。「この人もアブラハムの子なのだから」と。そして「人が自分の友のためにいのちを捨てる、これよりも大きな愛はない。あなたがたはわたしの友だ。」(ヨハネ15:13,14) と言い、やがてイエスはこのザアカイのためにいのちを捨てます。果たしてザアカイは、このイエスの友情と愛に応えるべく、自分の生き方を変えるのです。 私たちも、人がどんなあわれな状態にあったとしても、その人のあわれさ故に、それを憐れんで友となるのではなく、その人の最高の部分を見、そこに共感し、それを生かすような友となりたいと思います。そのためには、まず私たちは、文字通り捨て身の愛を示してくださった友なるイエスを知り、また私たちのベストを常に見ていて下さる主イエスの目線を知ることがその第一歩。その後で私たちも、イエスが向けてくださった同じ目線を、友にも向けることができるのです。
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