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礼拝メッセージ

職場と信仰ー不当な要求を受けたとき
(高橋秀典先生)
Ⅰペテロ2:13-25

職場にあって、どうしてこんなことを要求されるのかと悩むことって、誰にもあると思います。こんなことに悩んでいること自体が、クリスチャンとしておかしいんじゃないかと、ダブルで悩むクリスチャンも多いと聞きます。でも、すべてにシャープな答えを持っているのがクリスチャンではないのです。人が悩むことにはクリスチャンでも悩みます。それを祈りに持っていけること、すべてが祈りにつながること・・・これがクリスチャンなのです。そして不当な要求はダメなことばかりではありません。それがあって初めて破れる殻というものもあるからです。不当な要求を出さざるを得ない上司の苦しみに思いをはせるというのも、クリスチャンならではの所作です。 ちっちゃなことに悩んでいる自分を、主は軽蔑されるのではないかという思いも間違っています。ローマ8:23-24「私たちはからだは贖われることを待ち望みながら心の中でうめいています。私たちはこの望みとともに救われたのです。」答えを出せずにうめく、これがクリスチャンです。ダビデのように素直に自分の弱さを主にぶつけ、結果的に力強い人生を歩ませて頂きたいものです。

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