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礼拝メッセージ

いのりはガラスの天井を突き破る
マルコ10:14-16

「子どもたちを私のところに連れてきなさい。子どものように神の国を受け入れるものでなければ、決してそこに入ることはできません」とイエスは言われました。子どものようになるとはどういうことなんでしょう。皆さんの「子ども」のイメージってどんなものですか。彼らは誰かに頼って生きていますよね。かわいいですね。お父さんを信頼しています。時に生意気。でも親がいないとダメ。ある意味弱肉強食。でも正義感が強い。一方で自己中心・・・要するにはちゃめちゃです。僕らは、もっとはちゃめはでいい!ということなのではないでしょうか。きれいなことを並べるのではなく、本当の心をぶつける。心配事も、悲しみも、失望も、怒りもそのまま持っていく、そんなはちゃめちゃな祈りを求めておられるのです。祈りは霊的鍛錬の場ではありません。ただお父さんの胸に飛び込むことです。 そして僕らは2階建ての1階に住んでいて、神は2階の存在と思ってしまっているところはないでしょうか。だから祈らないのです。愛や奇跡は祈っても生活のことは祈らない。それは、神は2階にいて僕らの小さなことなんてケアしてくれないと思ってしまっているからです。が、それは単なる不信仰です。神はすべてを支配される良いお方という信仰がなくなってしまっている。それは人生にはいいことばかりが起こるわけじゃないという現実があるからですが、このガラスの天井を突き破る唯一の方法が祈りなんです。「私の名によって求めるものは、父がそれを与えてくださいます」と、イエスは何度も私たちに約束しておられます。求めて、それをゆだねる。Pray and surrender just like a child! 整理もつかないはちゃめちゃな祈りを、聖霊は喜んでとりなし、天の父なる神様は、そんなあなたの頭に手を置いて、目を細めてなぜてくださいます。