ユダが12弟子のひとりとして選ばれていながら、ほかの11人と違う道をたどった理由は何だったのか?この12人に対する選びにはどういう意味があり、僕らが11人になるには、どうすればいいのか。それを解く鍵は3つです。1つは「イエスに頼ること」です。クリスチャンとは人生の主導権をイエス・キリストに明け渡し、自分の車の運転席に、自分ではなく、イエスに座っていただくことを決めた人たちです。またパウロは、「イエスキリストのしもべ、パウロ」と、常に自分のことをそのように自己紹介をしましたが、しもべとは奴隷のことです。奴隷とは主人次第でどうにでもなる存在。でも彼は、イエスが彼の仕えてきた最高の主人であり、彼をベストの状態で生かすことのできる方だと知っていたのです。あなたの運転席には今、誰が座っていますか?またあなたは、どのように自己紹介されるでしょうか? 2つ目は、「イエスの贖罪を知ること」です。イエスは、その十字架の贖いを、自分の罪のためになされたものであることを信じる人を、一人残らず、それも信じた瞬間に救い永遠の命を与えるために、この世に来られました。イエスの十字架の死は歴史の事実です。これが自分の罪のためだったと本当に知るなら、僕たちはそれに対し応答をしないわけにはいかないのではないでしょうか。贖罪の業の意味を知ることは、あなたを救いなら漏れさせないための大切な要素です。 そして3つ目が「一人にならないこと」です。「下がれサタン」とペテロはイエスに厳しく叱責されましたが、それは愛の叱責でした。そしてそのあとユダと同じく十字架直前に大失敗をしましたが、それでも主に立ち返るチャンスを最後まで失いませんでした。が、それは共同体から最後まで離れなかったからです。あなたは今、助け合い、励まし合う、愛の共同体につながっているでしょうか。 この文章を読むあなたは、主の選びの中にいます。私たちが今なすべきことは、この選びの意味を知り、それに能動的に応えることです。あなたの運転席をイエスに完全に明け渡しましょう。
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