羊が逃げたら、99匹を置いてその1匹を探すという聖書の話を聞いて「あほちゃうか」と思った。99匹を置いておくリスクはどうするんやと。でもそれほどに、その一匹をあきらめない方が主イエスなんです。そんなことは人間にはできません。イエスは神だからそれができるし、イエスは途中であきらめず、最後まで捜し歩く神なんです。クリスチャンになっても人は迷います。でもその迷いは、死にたくなるほどの迷いではないということ。人はちゃんと悩むことが大事だし、迷うことも大事。それは、それによってはじめてわかることがあるからです。そのうえで大事な次の一歩が安心して踏み出せるんですね。「ここにいたのか?!」と神は、喜んで私たちを担いで帰ってくれる。「お前の人生には価値がある」と言われ、神の肩に担がれて歩む、それがクリスチャン生活なんです。 神の前ではすべてがバレているということ。いい人のふりをしても無理だし、そんな努力は無駄なことなんだと。それがわかった時、なぜかほっとしたと中三の大嶋師は思ったそうです。ああ知ってるんだと。そして「まじですか?こんな俺でいいんですか。本当に愛してくれるんですか?」と問うた。そして「ありがとうございます。」とその神の愛を受け取ったと。僕らにできることはこの2つしかないのかもしれません。そしてこの問答をし続けることがクリスチャン生活なんですね。
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