ヘロデ王は、神からの預言者、バプテスマのヨハネを殺害します。が、その動機は、ただ酒の席での失言の埋め合わせでした。踊りを踊った少女に、「褒美として何でも与える」と公言し、それに対して、いつもヨハネに苦言を呈されてきたへロディアが、「ヨハネの首を」と娘に言わせたのです。へロディアはヘロデと道ならぬ関係にあったので、それを指摘するヨハネがうっとうしかったわけです。ヘロデは客の手前引くに引けなくなり、ヨハネの首をはねます。そんなどうしようもない罪を犯したヘロデでしたが、彼はヨハネのことばを当惑しながらも、喜んで耳を傾けていたと聖書に書かれています。それは「悔い改めて福音を信ぜよ。ならばどん罪でも赦される」という福音の核心にヘロデはすでに肉薄していたということ。そして、この「どんな罪でも」には、このヨハネ殺害という最低最悪の罪も含まれていたのです。 その後のヘロデのことは聖書には書かれていません。が、「アンティオキアには…領主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどの預言者や教師などがいた」と聖書にあります。領主ヘロデとはこのヘロデのこと。サウロとは後のパウロです。パウロにつき従う伝道者が、この血塗られたヘロデの家系から生み出され、「どんな罪でも赦される」「だから悔い改めよ」と共に叫んでいたということ。神の紡ぎ出す物語は何と驚きに満ちた物語でしょうか。神は石ころからでもアブラハムの子孫を起こすことができるお方。ですから、自分だけは関係ないと思ってはいけません。すべて人が、この驚きのストーリに招かれているからです。石ころ人生、がれき人生が、ダイヤモンド人生に変えられる。それはただ、主イエスの十字架の血潮によること。そしてその始まりが、クリスマスなのです。
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