神の勝利って、どうしてあんなに遠慮がちなのでしょう。どうして悪い人たちを、もっとわかりやすくガツンとやっつけてくれないのでしょうか。そしてイエスキリストの降誕は、どうしてあんなに質素だったのでしょう。もっと派手に、わかりやすく、これぞ救世主といった感じで、威風堂々下って来られてもよかったのにと。私もそう思っていました。そうしたら今頃もっと多くのクリスチャンが日本にいたんじゃないかと。でも、それは、神の戦い方を知らないから出てくる疑問だったのです。神は悪人を滅ぼすことによって勝利されるんじゃなく、すべての罪びとを救うことで勝利しようとしておられるのです。だから人間とは全く違った方、神であるにも関わらず、罪ある私たちと完全に一つとなり、その罪からの救いを成し遂げるために来られたのです。 イエスキリストがあんな回りくどいやり方をされた理由、それはやろうとしていることが救いだからです。審きではないからです。そして本当の救いは、超個人的で、目立たないところにあるからです。だから見えない形で神の子イエスはおりてこられ、罪びとの私たち一人ひとりに、二人っきりの会話の中で、つまり祈りの中で語り掛け、力と慰めを与え、悔い改めに導かれるのです。「一人の人が悔い改めるなら、99人の正しい人のためより、大きな喜びが天にあるのです。」悔い改めがあって初めて、この静かなクリスマスの意味が分かります。あなたの悔い改めのゆえに天はどよめいていました。御子は、罪びとを悔い改めさせるために地球に出発しようとしておられた。だからあの日、あのようなとんでもない光と喜びが天にあったのです。
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