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礼拝メッセージ

正しく判断するために
ヨハネ7:14-24

私たちは、たとえルールにのっとったことで、人々が口をそろえて「良い」と言ってくれることであっても、間違ったことを習慣的にやってしまっていることがあります。それを振り返るポイントは、それが愛から出たことであるかどうか。もし愛でなく、欲や、プライドや、個人的なこだわりから出たものであるなら、一旦立ち止まって考えなおす必要があります。逆に愛から出たものなら、それがルールや決まり事との兼ね合いで難しいことがあっても、(特にこのコロナ禍の、既存の発想では対応しきれないことが山積している環境下)改めて何が正しいのか、どう進めたらいいのかを、もう一度祈り求めたいと思います。 さらに私たちは、日常生活において、人とぶつかることが多々あります。でもその時、自分は正しい、相手は間違っていると、すぐに断じてしまわず、期待して待つことが大切です。誰に期待するのか?それは相手にではなく、神にです。もちろん最終、相手の悔い改めを期待するのですが、その前に、そう導いてくださる神に期待するのです。これがクリスチャンならではの、ゆとりのjudgement。なぜなら、すべての主権者である神が、あらゆる対人関係をも支配して居おられるからです。そして「もう一年待ってください」と主人に懇願する園丁イエスの存在ゆえに、私たちは、早急なさばきが下されることなく今こうして在るを得ているのです。それを思うとき、私たちは人に対するさばきに、もっと寛容になれるのではないでしょうか。