僕たちは生活の中で、思い描いて来たことが進ます、どうしてこんなに赤信号が続くのかなと、ふと立ち止まって考え込むことがあります。しかし、クリスチャンが神のみこころにかなう生き方を思うなら、なおかつ自分の人生を通して神の栄光を現したいと願うなら、あなたの人生はすでに神の盤石の守りの中にあります。だから、赤信号には赤信号の意味があるのです。「神様それは何ですか?」と、そんなときは問うてみることをお奨めします。動機や思い違いが正されれるまで、それは続くかもしれません。が、とにかくそれは神に立ち返るチャンスです。「赤信号 祈りに導く 神の声」それまで見過ごしてきた神の恵みを振り返り、また、何も慌てることはないんだよ、そのままのあなたが愛されているんだよという、神の語り掛けをそこで聞くことでしょう。 さらにイエスは、「もう少しの間が残されている」と言われました。そして「まず神の国と神の義を求めなさい」とも。それは、花婿なるキリストが到着するまでは「もうすこしの間」しか残されておらず、この間に、全力でメシアを探し出せ、見つけ出せということです。それを今日するか、それとも明日するか。まずやるか、それとも後にまわすか。そこに大きな分かれ目があります。「明日」あるいは「後で」と言うのは、言い換えれば、福音の招きを抽象化して、あえて聞かないようにしている状態とも言えます。イエスは「今日」を求めておられます。「まず第一に」とは、今あなたに起っている事件の中に、福音を取り入れることです。赤信号の意味を真剣に問うことです。どうか僕たちが、「もうすこしの間」に、救い主を見つけ出すことができますように。
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