ニコデモは、パリサイ人かつ評議員でしたから、グループ的にはイエスの敵、祭司長たちの仲間でした。が、そのニコデモが、「本人から直接話を聞かずに逮捕するのは、律法違反だ」と、律法を盾に彼らに反論したのです。ニコデモは以前イエスに会い、直接交わったことがあり、それ以来、彼の中に大きな変化が起こっていたのです。彼がモノ申したことで流れは変わり、祭司長たちの謀議は成立せず、解散となりました。当時のニコデモは成長期のクリスチャン、そしてその後彼は、イエスの埋葬を手伝うまでの信仰者に成長します。敵陣の中にも信仰の友あり。私たちは、遣わされた場所で伝道するとき、四面楚歌のような状況をしばしば経験をします。が、「この町に私の民はたくさんいるから」と主は言われます。そんな友は見つかりましたか?祈り合い支え合うことで、私たちは大きな力を得るのです。 使徒2章では、キリストの公開処刑のたった50日後に、3000人のキリスト者がひとところに集まり、仲間と交わり、祈り合っていたとあります。外は迫害の嵐です。でも、その時すでに、励まし合い強め合う共同体が存在したということです。そして、それこそが、その後の世界宣教の力となりました。ボンヘッファーは、「集まることと、一人で神と向き合うことの両方が、キリスト者の成長には不可欠だ」と言いました。TCCは都心に遣わされる皆さんを励ますコミュニティーでありたいと願っています。あなた自身から、また職場から、イエスのいのちの水の川が日本の津々浦々に流れていく。たとえ逆風が吹く中でも、そんな主のbig pictureに、共に歩ませて頂こうではありませんか。
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