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礼拝メッセージ

光が見えますか
ヨハネ8:12-20

「私は世の光です」と言われるキリストは、私たち罪びとを照らし、いのちを与える光源として来らました。そしてこの光源は、さらに無数の小さな光源を生み出しているのです。教会で、あの人が来ていると思うだけで、心の中にぽっと光がともるような人が居るんじゃないでしょうか。あるいは自分が暗い思いになった時、あの人のことを思うと、パッと明るい気持ちになれる・・・。実は彼らは次なる光源をどんどん生み出しているのです。「わたしに従うなら、決して闇の中を歩まない」とのイエスの宣言は、クリスチャンであるあなたは光の子であって、次なる光源を再生産中だというメッセージです。 またイエスは、天の父なる神こそがご自分の証人であるという確信に満ちて、この世での人としての人生を生き抜かれました。一方で私たち日本人は人の評価を大切にします。人の賞賛、誉め言葉は、成功の証しであって、私たちのプライドはかなりの部分がそれで満足されます。しかしボンヘッファーは、「十字架の姿は、成功というものを基準とする考え方を無価値にする」と言いました。神のみが自分の証人であって、それ以外は求めないところに、本当の自由があり、真の「神にある成功」を生み出す地盤があるのです。この主のパラダイムシフトは、私たちへのチャレンジです。 ところで礼拝の最後には「祝祷」というのがあり、その中で、「主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように」という言葉が語られることがあります。これは神が私たちを照らし出し、送り出すという、まさに輝きを持った祝福の祈りです。「私は世の光です」と言われる方の招きと、その真実の光の中に立つとき初めて、私たちは、何かを自分たちで頑張ってするというのではなく、自然体で光り輝く者となり、決して闇の中を歩まない「主の灯(ともしび)」としての人生を、体現し始めるのではないでしょうか。