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礼拝メッセージ

神は気前のいいお方」
マタイ20:1-15、詩篇23:1-6

神は、あなたにとって、どのようなお方でしょうか。厳しいお方? ダメな人には無慈悲な罰を下すお方? それともあなたを愛し、あなたの喜ぶ姿を見て一番に喜ばれるお方? この、あなたの持つ「神様イメージ」が、あなたの人生を決定すると言っても過言ではありません。マタイ20章の夕方5時から働いた労働者が、朝から働いた者と同じ1デナリをもらったのは、ただ主人の好意によるものでした。たとえ夕方5時からの労働者の様に大した働きはできなかったとしても、そんなあなたも喜ばせたいと、神は思っておられるのです。 紀元2世紀のクリスチャンは、あらぬうわさを流され、偽善者と中傷されました。が、ある人たちには魅力的に映ったようです。なぜなら彼らは、迫害する者にも礼儀正しく、常に天の故郷を夢見、すべての人から迫害を受けたにもかかわらず、全ての人を愛したからです。そして何も持たない彼らが、多くの人を富ませている姿。それを見て、「自分たちも彼らと同じものを持ちたい」と思った人たちが起こされ、大迫害の中にあってクリスチャン人口は急増したのです。 世の貪欲、恐れ、偏見に適応しないクリスチャンは、「変わった存在」です。それは、神ご自身が「変わったお方」だからです。赦す価値のない私たちのために、愛するひとり子を死に渡された天の神様は、人間の理解を超えています。それは、この神が、人間「が」創り出した神ではないからです。学校、病院、公共の福利制度などが確立するのに1800年の時を要しました。全ては教会がスタートです。このように、「本物」が浸透するには時間がかかるということ。それを思うと、伝道も、もっと腰を落ち着けてやればいいのだとわかります。