最後の晩餐は、世にも不思議な食事会でした。それは参加した者が、誰もイエスのことを分かっていなかったということ。かつそれ以上に自分のことも彼らは分かっていませんでした。しかしイエスは、どの弟子にも分け隔てなく、パンとぶどう酒を分け与えられました。それが今の聖餐式の原型です。パンは「私があなたのいのちを生かす」というしるしであり、ぶどう酒は「あなたを新しくする契約がここにある」という意味でした。 イエスは、このあと弟子たちが自分を捨てて逃げることを知っていました。そんなイエスの最後の晩餐における思いは、イエスの語った「しかし、わたしはあなたのために、信仰がなくならないように祈りました」という言葉に込められています。この祈りがあるから僕らは、困難の中に在っても立ち直れるのです。この祈りがあるからこそ信仰を保てるし、この祈りがあるからこそ、兄弟姉妹たちと祈り合い励まし合うことができるのです。 極めつけは、イエスが十字架上で祈られた「父よ、彼らをおゆるし下さい。彼らは自分で何をしているのかわからないのですから」の祈りでした。この言葉を聞いた者は皆、この方こそ自分たちを救う大祭司であるということを知ったのではないでしょうか。この祈りがあってこそ、僕らの祈りは祈りとなり、この祈りがあってこそ、その祈りがイエスによって取り次がれて、父なる神のみもとに届けられるのです。
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