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礼拝メッセージ

聖書は啓示の書
ルカ24:13-33、ヨハネ5:39

僕らの人生は、なんと望みのない、打ちひしがれることの多い人生かと思います。僕らは弱い存在です。なぜならもとは地の塵だったと聖書に書かれているからです。でも問題は、僕らがその「過去」に生きるのか、それともすでに復活したイエスが僕らの横に立たれ、語り掛けておられるこの「現在」と、さらには十字架によって完成された栄光の「未来」に生きるのかどうかということです。 エマオの途上でイエスと出会った時、弟子たちはうなだれていました。それは彼らが「よい預言者だった」「十字架に掛かった」「墓からもいなくなった」と、徹頭徹尾、た、た、た、の「過去」に生きていたからです。しかしイエスが共に歩き、聖書を解き明かすや、彼らの心は内に燃えたのです。そしてエルサレムに走りました。僕らも聖霊に燃やされて、Good Newsのために走る者になりたいと思います。 あなたは果物の王様ドリアンです。「パパイヤのほうが好き」と言う人もいるでしょう。でも、あなたはあなた。パパイヤにはなれません。こうなったら、人の評価なんて二の次です。み言葉と聖霊に励まされて、ドリアンの実を、思いっきり結んでやろうじゃありませんか。神の望みは、あなたがもっとあなたらしく生きること。神は「よくやった」と、あなたに伝えたくて仕方がないのです。