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礼拝メッセージ

信仰という冒険Ⅱ
マタイ14:25-33

黙想などというと特別な事のように思われるかもしれませんが、それは何かを繰り返し考えること。そして心の中でそれがぐつぐつ煮えていくことを言います。聖書の黙想を言うとき大切なのは、ある節を繰り返すうちに心の中で何が起こるか。そしてそのみことばが心の中で熟成した時、初めてそれがあなたに影響を与える思考となり、その思考が人生を形づくるのです。 アブラハムは約束の息子誕生を24年待ち、イスラエル人は奴隷から解放されるのに400年、モーセは荒野脱出に40年待ちました。このように聖書では「待つ」という行為は「信じる」とほぼ同義語と言えると思います。『「しかり、私はすぐに来る」アーメン、主イエスよ、来てください』とある通り、究極的に僕らの待つべきものは再臨のイエスだと聖書は言います。 仕事は自分で選ぶもの、召しは与えられるもの。そして召しに命を懸けるパワーの源が「すでに勝利した」という週ごとの伝令です。礼拝を通して運ばれてくる伝令を聞く中で、主の勝利の隊列はどこを向いているのか。仕事をする中でそのベクトルを発見し、神に励まされて歩みだし、神を賛美(拡大)しようではありませんか。舟を降りると、私たちは変えられるからです。