カテゴリー
礼拝メッセージ

神のみ業が現れるため
ヨハネ9:1-12

僕たちは伝道するとき自分の導かれた道筋をイメージして伝道します。救いの証しもします。でもそれが伝わらないこともしばしば。それは皆さんが、「互いに人を自分より優れたものと思いなさい」(ピリピ2:3)とある通り、僕たちより優秀だからです。だから、「この人は僕の説得力では導けません。でもあなたなら可能です。今働いて下さい」と、イエスの多彩さ、ポケットの多さに期待して、委ねたいと思います。この謙遜さは大事です。 マルチン・ブツァーは、「すべての栄光は神につながる。良い理由、良い目的無くして何も起こらない。神はその出来事の中で、こちらに顔を向けてくださっている。だからこちらからも、顔を向けて、忍耐強く、元気を出して、その時を待とう」と言っています。「だから、whyではなく、whatを問え」と。つまり「『なんでですか』じゃなく、『これからどんなことが起こるのですか』と問え」と言っています。 人は死を恐れます。でも本当の信仰者はそうではありません。その人は、死が新しい世界への通り道だと知っているからです。死が変質する、これがキリストの復活パワーです。ここに立つなら、日々のどんなことも決定的でないことが分かります。あなたに「最悪」はありますか。でもその「最悪」が、新しいストーリーの始まりなんですよね。今こそ「この人に神の業が現れるためです」のみ言葉に、もっと信頼したいと思います。