盲人は礼拝堂を追い出された後イエスと出会い、最後は「主よ、あなたを信じます」と言ってイエスを礼拝します。この盲人は目が開かれてから、何もいいものは見て来ませんでした。見たのはせいぜい彼を取り囲む野次馬、言い逃れをする両親、形式主義のユダヤ人などで、その中に彼の目が開かれたことを喜ぶ人はいませんでした。が、その嫌な経験とイエスとの出会いは、無関係ではありませんでした。 僕たちも、人に裏切られがっかりすることの連続ですが、それを通してイエスを礼拝する者に変えられるのです。これが、彼が盲目で生まれついたのは神の業が現れるためだとイエスが言われた「神の業」(ヨハネ9:3)なのです。 僕らは未だに心の盲目状態にあり、立場や、国籍や、いろんなもので人を差別してしまう弱さがあります。そうではなく、「最も小さな者にしたのはこのわたしにしたのです」と言うイエスにお仕えする者でありたいと思います。そのためには「自分には闇があります。ここに光を下さい」と、心の闇を告白し、イエスの光によって真昼の心に変えて頂きましょう。 クリスチャンとは霊的呼吸をする人のこと。吐く息が悔い改めで、吸う息はその罪が赦されたと信じることです。逆にこの呼吸を辞めるなら、僕たちは霊的に死んでしまうのです。是非この盲目の男性と同じ信仰を持ち、心からこの主を礼拝したいと思います。
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