僕たちには日々心騒ぐことが起こります。が、イエスが心を騒がされ、涙された。愛する者たちに死と絶望をもたらす、悪の源なる悪魔に対し、愛の憤りをもって挑み、勝利をされた。それがラザロ復活劇であり、そこから始まる十字架への道でした。 イエスはご自身の心騒ぐ戦いの末に「あなたがたは心を騒がせてはならない」と言われます。「なぜなら私の父の家には住むところがたくさんあるから。神を信じ、わたしを信じなさい」と。僕らの騒ぐ心は、根こそぎ掬い取って頂き、持って行って頂けるのです。 イエスの涙は、疑いようのない慰めです。そして死にゆく人にとってもこの涙は、死の闇を照らす光です。僕らは死ぬときこの涙を思い出すことができます。イエスはこの自分のために、今まさに涙を流してくださっていると信じて死ぬことができるのです。 それも、その愛の涙が、激しい憤りとともにあるということ。その憤りとは、すでに勝利した悪魔への憤りです。未だに最後の力を振り絞ってなんとか僕らを死と絶望の淵に追いやろうとする、往生際の悪い悪魔に対する怒りです。 イエスのよみがえりの光の中で、僕らの人生は、死を恐れない人生に変えられます。そして死を恐れない人生は、細かな恐れを吹き飛ばします。Jesus wept…僕らの悲しみに、駄目さに、常に寄り添ってくださるイエス。このイエスの語り掛けを聞く一週間となりますように。
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