カテゴリー
礼拝メッセージ

ナルドの香油の放つ香り
ヨハネ12:1-11

あなたには未来に対する計画がありますか?友達はいますか?デボーションが義務になっていませんか?この3つにネガティブだと、ユダの罪に走る可能性があるし、最後は燃え尽きる可能性すらあると、「牧師のレジリエンス」という本を書いたジョン・ヒューレットは言います。ショックな言葉ですが、これは今の僕たちの働きが、Beingを忘れてDoingに走っていないかを問う質問でもあります。 マリアが香油を注いだあの現場に居たとしたら、あなたはどちら側でしょうか。イエスに最上のものを差し上げるとなったら一滴残らず全部振りまいてしまうマリアか、それとも「それは高く売れたのに」と批判するユダか。マリアはイエスの最高の賛辞を得、ユダはイエスから悪魔呼ばわりされます。が、これはユダだけではなく、ペテロも「下がれサタン。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」と叱責されました。 結局僕らは、何をするとしても、イエスの十字架に対する感謝の応答からするのでなければ意味がないということです。それもなく、とにかく見えるところで勝負するというのが、ユダの罪の始まりなのです。マリアは、イエスの十字架の死を、何より価値ある宝物ととらえました。僕たちも、自らを推薦する者ではなく、イエスの十字架を推薦する者でありたいですし、愛されているという喜びと感謝を出発点に、自らの賜物をささげる者でありたいと思います。