しゅろの主日は、イエスキリストがエルサレムにロバに乗って入城された日曜日のことです。群衆は「ホサナ!今お救い下さい」と歓呼の声をあげました。が、その5日後には、この同じイエスを十字架にかけて殺すのです。これらすべてをご存じの上で、あえて群衆の歓呼に応えられたイエスは、この時どのようなお気持ちだったのでしょう。 ただ一つはっきりしているのは、イエスは、群衆ではなく父なる神を見ていたということ。それゆえに、心を一切さわがせることなく、このエルサレム入城と、それに続く十字架と復活にイエスは堂々と向かわれたのでした。僕らも日ごろ誰を見ているのかが問われます。人の評価に右往左往することなく、神のみこころに標準を充てた生活を送りたいものです。 イエスの、王としてのエルサレム入城は、長く旧約に語られてきた預言の成就でした。このように聖書の預言はことごとく成就します。イエスがもう一度来られる「再臨」もしかり。僕らは日ごろから、このイエスの再臨に標準を充てた生活をしているでしょうか。バタバタする必要はありませんが、首都直下型地震に備えて水の買い置きをするがごとく、再臨に備えた日常を送りたいものです。 エルサレム入城の日曜には大歓声でイエスを迎え、金曜には十字架に捨て、再び日曜の復活を通して悔い改めに導かれる。口先でイエスを大歓声で迎えた群衆は、私たちです。しかしこの群衆の歓呼をあえてお受けになる、ここにイエスの、我々への、いつかは帰って来るという信頼があるのです。やがて天の御国で、「イエスこそわが王」と、心から声をあげる者へと、我々は招かれているのです。
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