僕たち人間は神のかたちに造られ、それゆえ僕たちは人格を持つのです。が、世にはモノと人格の戦いがあり、人格を持たない世のあらゆる被造物は、僕らを常に非人格化しようとするとパウロは言います。 しかしキリストを通して知る神の愛のあるところ、その非人格化は許されず、あくまで僕らは人格的であり続けることができます。だからパウロは「私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的勝利者だ」と言っているのです。 パウロは、クリスチャンとはキリストのために死ぬ者だとはっきり言います。これが僕らの信仰の中心だと。その時、キリストが復活したように僕たちも復活する、それがこの「圧倒的勝利」の中身なのです。 戦争は非人格化の極みですが、たとえ戦争でなくとも世には非人格化があふれています。しかし礼拝を通じてイエスの人格に癒してもらえる者たちは、いつでも人格的であり続け、神の愛の勝利の歌を歌うことができるのです。 この主の復活のいのちに生かされて、僕らは自分の持ち場に遣わされて行きましょう。そして時が良くても悪くても、神の愛の勝利を告げ知らせましょう。そんなあなたが今、あなたの持ち場には必要とされているのですから。
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