アブラハムはエジプトで、妻のサラを自分の妹と偽ってエジプト人に進呈するという、大変な間違いを犯しました。それは恐れから出た失敗でした。その時彼は、神の守りというものが分からなくなってしまっていたのです。その後アブラハムが最初に造った祭壇のところまで戻って来て、神を呼び求めたのは、自分の中の破れを神に打ち明け、それをつくろってもらおうとした、その叫びでした。ここに彼の原点回帰があったのです。 その後ロトと別れざるを得ないとなった時、彼は甥のロトに行先を決める権利を与えます。アブラハムは年長者ですから、彼が先に決めてもよかったはず。が、彼はそうはしなかった。どうしてそんなことができたのか。それは、アブラハムには行き先にしがみつく必要がなかったからです。右に行っても左に行っても神の祝福はある、求められて手放すならもっと大きな祝福があると確信が、彼にはありました。その結果、明らかに放牧には向かない土地を選ぶことになりますが、それが彼の祝福の始まりでした。 僕らもこのアブラハムの軽やかさを忘れず、主に在る粋な選択をしていきたいと思います。神は、そんな僕らを通して世の破れをつくろう働きを進めたいと願っておられるのです。だから重要であればあるほど力を抜く。そしてゆだねる。その時僕らの想像を超えた祝福が待っているということを、このアブラハムの選択劇は語っているように思います。「あなたが左なら私は右に、あなたが右なら私は左に行く」と、自分の一番身近な隣人にとって最高の選択をする者でありたいと思います。
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