アブラハムは神のことばを疑いました。それどころか失望と落胆のどん底にいて、顔を上げることすらできない状態でした。神は自分に子孫を与えるとは言われるけど、自分はもう歳だし、妻はもともと不妊だし、今さら子どもなど授かるはずがないと、彼は見切りをつけてしまっていました。が、彼は、祈りを途切れさせることはなかった。祈りは「神との友情」を育てる手段です。「神の友」としての彼は全然あかんたれの友でしたが、彼の不断の祈りを通して、神は降りてこられ、彼の手を取って外に連れ出し、空を見上げるようにと言い、満天の星を指さして、「数えてみよ。わたしがあなたに用意している祝福はこのレベルだよ」と、やさしく語られたのです。 子孫だけでなく土地もあげるというのが、神の約束でした。どんなふうに?と聞くアブラハムに対し、神は切り裂いた獣の間を通られます。これは契約を表し、「もしあなたを幸せにしないなら、私は切り裂かれてもいい」という意思表示でした。その後、契約違反をしたのは人間でした。罪を犯し、神を裏切った。しかし、それを償うために切り裂かれたのは神の子イエスキリストだったのです。神の、僕らを祝福するという思いは、それほどに本気なのです。祝福の影すら見えない時、僕らは疑います。アブラハムがそうだったように。でも何があっても神との会話をやめないことです。そしてそのやり取りの中で神は「必ずあなたを祝福する、それも満天の星のように」と誓われました。その証拠が、その成就が、イエスキリストだったのです。あなたはこれを信じますか。
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