僕らはある程度のポジションを獲得すると、「この組織は自分無しでは回らない」と誤解し、横柄になってしまうことがあります。懐妊後のハガルがそれでした。大エジプトから都落ちし、不本意なヘブル人の奴隷をさせられてきたハガルは、その「地位向上」を境に、女主人を見下す罪を犯します。これは誰にでもありがちな失敗です。これを防ぐには、まず自分がどこから拾われてきたかを自覚することです。そして今の自分があるのは、神のあわれみによることだと覚え、あくまで神のしもべに徹する。その時初めて僕らは、神の開かれたドアをくぐった後も、その新しい陽の下で、喜んで神と人にお仕えすることができるのです。 そうして追い出されたハガルでしたが、自分のダメさを知ったからこそ、彼女は神に会うことができました。信仰とは、神はあなたを見つけ出してくださる方だと知ることです。それは駆け寄って下さる神であり、神の愛はそれほどのものだと知ることです。元はと言えばこの事件は、サラの罪が引き金で、それに間違った反応をしたハガルの「追い出され事件」でした。が、そんな罪から発したことからも、神は良いものを生み出そうとしてくださいます。僕らは、自分の過去の罪も、その罪の結果も、十字架によって贖われていることを信頼すべきです。ハガルは、神を信じ、悔い改め、身を低くして家に戻った結果、本来は神の予定にはなかっただろう一大民族の母にさえなることができたのです。
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