ナオミは神を信じているが、いい事が続かない。それどころか、不幸を絵にかいたような状態だった。しかしそれを見てもなお、ルツはナオミと同じ信仰を持とうとする。なぜか。ナオミの人格に惹かれたのか。おそらくそうだろう。状況の良しあしと無関係に、その人が醸し出す人格というものがある。いやそれどころか、状況が悪ければ悪いほどかえってそれが際立つ時がある。また人によっても感じ方は違う。同じ状況を見て、もうひとりの嫁は去って行ったからだ。 神は、選びの器ルツにその感性を与え、ナオミの家を支え、異邦の地エルサレムに彼女を導き、最後はルツがダビデのひおばあちゃんになる道を開く。不幸のどん底のようなナオミと、そのナオミに従うルツ。神を信じていてどうして?と問いただしたくなる現実がある。しかし、そこには、我々には計り知れない神のご計画があるのだ。 なぜこんな事になったのですか?と問う弟子たちにイエスは「神の栄光が表されるため」と答えたとヨハネ11:4にある。神の愛する者たちにとって、神の与える試練には理由があるということ。そしてそれは耐える価値があるものであり、また耐えるための神の支えもすでに備わっているということではないだろうか。
カテゴリー