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礼拝メッセージ

私たちに注がれた神の愛
(相島功師)
創世記1:26-31

神は私たち人間を、神のかたちとして創造された。それゆえに私たちを愛し、また世界を管理する仕事をお任せになった。エデンの園のものは何を食べてもよかった。が、ただ一つのルールがあり、それは善悪の知識の木の実だけは食べてはならないということ。「神の命令を守ること、それが、神を愛すること。神の命令は重荷にならない」のだ(Ⅰヨハネ5:3)。 しかし人は神ではなく自分の考えに従った。実を食べたのだ。罪とは、人が被造物の分を超え神のようになること。その結果、神との関係は壊れ人間同士の関係も壊れた。アダムは失敗をエバのせいにした。エバは蛇のせいにし、蛇を置いた神のせいにしたのだ。自分の罪を棚上げにして人のせいにする。これが人間関係を壊す。これが罪の奴隷となった人間の姿だ。 今の世界は罪に包まれている。が、神のあわれみは今も注がれ続けている。そしてイエスは「わたしが来たのは罪びとを招くため」と言われた。神の立てた救いのご計画は、御子イエスを人として送り、十字架に掛けることだった。これは我々を取り戻すご計画だったのだ。 神の子として我々を受け入れ、永遠のいのちを、これを通して与える計画。「神のもとに今帰れ」と招きつつ。これが聖書の伝える福音、good newsの全容だ。主はそのために世に来られたのだ。今イエスを信じて、神とのほんものの関係に立ち返ろう。そしてこんがらがってしまった人との関係も、神に修復して頂こう。