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礼拝メッセージ

神に喜ばれる信仰
(服部真光師)
ヘブル11:1-3,6

「信仰は望んでいることを保証し・・・」(1節)とあるが、日本には元来「信心」という言葉がある。「イワシのあまたも信心から」と。これは信じる心が大切なのであって、対象はどうでもよいという考え方。しかし聖書は「信仰」を語る。これは信じて仰ぐことを奨めており、その対象が大切だと語っている。 創世記のヤコブは長い人生の終わりに、「今日この日まで、私の羊飼いであられた神よ」(創世記48:15)と祈った。これは、わが人生にこれまで試練はあったが、神が共におられるので、私はその試練を乗り越え、祝福を得たという告白だ。あくまで神を見上げるこの信仰を、主は喜んで下さるのだ。 また「神はご自分を求める者に報いてくださる」(6節)とある。私たちはつい神から出て来るものを求めてしまい、ご自身を求めることがどうしても少ない。が、神が共におられることが最高の力なのであり、それを知った上で「私もあなたを求めます。私を導いてください」という祈りを捧げたいと思う。