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礼拝メッセージ

あなたも神への道を知る
ヨハネ14:1-14

イエスは「父の家には住む所がたくさんある。しかしまだ用意ができていない。それが用意できたらあなたがたを呼びに来る」と言われました。あるのに用意がされていないとはどういうことなのでしょう。これは父の身元に至るには、イエスの十字架の死と復活という行き来が必要だということです。イエスという「道」が用意されていないと、僕たちだけではそこにたどり着けないのです。 「主よ、どこにおいでになるんですか?」とペテロは叫びました。が、それをもう問わなくていい時が来たのです。それはよみがえりのイエスが三たびペテロに「わたしを愛するか」と問い、「わたしの羊と飼いなさい」と言われた時でした。自分の十字架を示され、弟子としてそれを負うと決めた時、それまで経験したことのない安息と、今まさに神の役に立っているという確かな喜びを知るのです。 イエスは「わたしを信じるなら、さらに大きなわざを行う」とも言われました。それは自分たちの罪が、祈りを通して癒され赦され続ける時、その傷口を通してキリストの愛が流れ出て人を癒し続けるということ。あんな事さえなければと思うような傷が、僕らの人生の中で神の奇跡を起こしていくのです。そのために必要なのは祈りです。祈りがなければ何も起こらないし、祈りのあるところには僕らの想像を超えたミステリーが用意されているのです。