イエスは、僕らはさらに大いなる業を為すと予告されました。それもご自分が世を離れることでそれが可能となると。その意味するところは、代わりに送られてくるもう一つの助け主である聖霊が、その時働き始めるということです。聖霊としてイエスが共におられるこの時代、僕たちは2000年前の弟子たちよりよっぽど確かにイエスに寄り添ってもらえるのです。 聖霊の原語はパラクレートス。これは「傍に呼び出される者」という受け身の名で、ここで呼び出されるのは、イエスであり聖霊です。なぜなら天の法廷で被告席に立つ僕らが能動的に助けを求めることはできないからです。しかし弁護人兼友人であるイエスの方からそばに来て下さり、僕らの無罪を堂々と立証してくれる・・・。何と心強いことでしょう。 さらにイエスという主人の名によって祈ることが僕らには許されています。主人の名義で仕事をするには、まず信頼されることが大事。その上で主人のみこころと性格を知り、その思いからはずれないよう最大限の注意を払うのです。元々主人の名を預けてもらえるのは、期待があるということ。ですから御心を徹底して求め、初めて僕らは主人の名代として世に遣わされていくことができるのです。
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