イサクはアブラハムにとって、今や宝物中の宝物。でもそれが神以上になった時、イサク奉献の命令が神から下りました。それは、あなたの霊は死んでいないか、向くべき方向を向いているかという問いかけでした。これは僕らへの神の問いかけでもあります。僕らにとって一番大切なものが神以上の存在になっていないでしょうか。 大切なものをいったん手放し、神にお返しするなら、その時、その賜物は、神から託された本物の力を発揮するようになります。アブラハムが、それまで握りしめていたイサクをいったん手放すことによって、これまで死んだイサクだったのが、生きたイサク、いのちあるイサク、アブラハムの祝福を大胆に引き継ぐイサクとなって帰って来たのです。 試練の山には神の臨在があり、それを通して神は僕たちをもっと祝福したいと願っておられます。あなたに試練を告げる時、神は泣いておられます。でもそれ以上に、それを通してのあなたの更なる成長を望んでおられるのです。目の前の試練に挑みましょう。そして「主の山に備えあり」を体験させて頂こうではありませんか。
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