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礼拝メッセージ

どん底に降りてこられる神
創世記28:10-22

ヤコブは長男の権利を兄から奪い取り、父の祝福まで横取りしたことで、兄に殺意を抱かれ、這う這うの体で一人ラバンの家に逃れます。その旅先での最初の夜、彼は神と出会うのです。どん底での神との遭遇。それは神自らが、情けない一人ぼっちのヤコブに寄り添って下さり、お前はわたしの祝福から漏れていないということを彼に告げるためでした。 どん底にいる時、僕らは「なぜ」と神に問います。が、答はありません。でもそこに、神の愛といつくしみのまなざしがあることを覚えたいと思います。イエスも「どうしてですか」と問いました。「わが神、わが神、どうしてお見捨てになったのですか」と。その答えは無かったのです。でも「御心のままに」と進んで行かれ、父の無言のまなざしの中でイエスはよみがえりました。 ヤコブにとって、これまではおじいちゃんとお父ちゃんの神でした。礼拝も一緒に出た。でも、この時初めて、神にじかに会えたのです。神を知り、神が自分の神になったのです。「なんと恐れ多いことだ。ここは神の家、天の門だ」という驚きこそが、僕らの礼拝です。はしごを降りて来られ、日々僕らに話しかけ、共に生きることを喜び、僕らを世界の祝福の基としてくださる神、このイエスキリストのもとに居続ける者でありたいと思います。