僕らは自分では処理できない負の思い出、消したくても消せない罪の記憶を抱えて生きています。が、神が僕らを捕えてくださったという思い出、あの一番つらいどうしようのない場面にも神が共にいて下さり、すべてが神の愛の中にあったという神の思い出がそれらと二重写しになる時、ペテロたちが走ったように、これまで誰もが避けて来た「墓」に向かって走ることができ、墓の向こうまで走り抜けることができるのです。 「あなたは今日私と一緒にパラダイスに居ます」という、十字架の強盗にかけられたイエスの言葉は、世の常識からは逸脱しています。彼は教会に来て罪を言い表したわけでもなく、ただ「自分のことを思い出してくれ」と、死ぬ間際にイエスに叫んだだけだったからです。でもこれが、すべての人を救うことのできるキリスト教会の救いなんです。僕らの叫びに対して叫び返してくださる、これがイエスの救いです。 ようこそ教会へ。そしてようこそ恵みの中へ。弱い僕たち、取り消すことのできない過去を持ち、過ちを抱えてきた僕たちの為に教会は用意されており、その弱さを全部ぶつけることができるのが十字架です。イエスの復活は、語られたすべてが真実であることの証しです。かつ、いやなことを忘れようとするのではなく、イエスの復活を軸にそれらをリアルに思い返すところに、僕らの祝福の人生があります。ハッピーイースター!主の復活を感謝します。
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