イエスは、たとえ悪霊が自分の言うことを聞いたとしても、そんなことで喜ぶなと言われた。何かで成功したり、うまくいったりすると、僕らは単純に喜ぶが、若さゆえにうまくいっても、歳をとってから同じことができなくなりそのことで生きる気力を失うとしたらそれも意味がない。
努力することは素晴らしいが、成功したと思っていたが実はそうではなかったというのは悲しい。だから目先の結果に捕われず、主人の喜びを喜びとする人生を求めたい。その喜びは永続するし、人と比べて優位に立ったことで有頂天になるという我々の犯しがちな失敗も避けることができるからである。
イエスは、何より自分の名が天に記されていることを喜べと言われた。それは自分が天の国籍を持ち、自分の居場所が天に用意されている人生、神の栄光を求め、神の喜びを自分の喜びとする、目的地のはっきりした人生のことである。