僕らが信仰ゆえに裁判の被告の席に立たされるという事は、今の日本にはそうないことですが、真理以外のもののために僕らのことをジャッジしようとする力は存在します。でもそんな場面で、呼べばすぐに来てくださるのが、真理の御霊という弁護人。そしてこの雄弁な弁護人が言葉に窮することはないのです。
証しは小さな殉教です。主イエスはそれをご存じで、僕らが大切な人に福音を語ることや教会にお誘いすることを心から喜んで下さっています。それを知った時、僕らはたとえ、その人が乗って来てくださろうがそうでなかろうが、神からの喜びを感じる。それが真理に生きる味わいなのではないでしょうか。
真理はあなた方を自由にし(ヨハネ8:32)、あなた方に生きる意味を与えます。神のいのち、力、性質があなたの中に入り、そのように生かされる、それがクリスチャンの定義です。この「本領」つまり「イエスの栄光」を存分に表す機会を、神はあなたの人生に備えておられ、このイエスとの切っても切れない関係に生きるのがクリスチャン。そしてその時あなたは、罪を犯さない力を御霊から頂くことができるのです。