イエスの僕たちに対する期待は、宣教の特別な使命を担ってほしいというものです。宣教の使命とは何か。それは、「父の栄光を現す」「イエス・キリストの栄光を現す」「聖なる民となる」の3つの原則から成り立っています。では、「栄光を現す」とは具体的にどうすることを言っているのでしょうか。
栄光とは、物質、重量、存在を現す原語と実質的に同じことばです。歴史は水の流れで、小川に岩を置くと水はそれをよけて流れます。それは岩が水より栄光を持つからで、逆に葉っぱを置くと、すぐに流されて終わりです。流されずに永遠に残り続けるものが栄光あるものです。僕らは日々の生活の中で、永遠に残るもののために働いているでしょうか。父なる神に栄光を帰すとは、神はそのような方だと伝え、賛美することです。
聖霊の役割は、イエス・キリストを指し示すこと。実は、宣教の使命を担う僕たちは、この聖霊と同じ役割を期待されているのです。クリスチャンの皆さん、もっと口を開きましょう。そしてイエス・キリストのすばらしさを、僕らが受けた感動を、人々に流し出しましょう。「あの医者はすごいよ。なんかあったらあの医者に頼ったらいいよ」と本気で勧めましょう。
僕らが、個人ではなく集団として、横のきずなが強く、「何か違うものがある」と思われる集団となることをイエスは期待しておられます。これが宣教の基盤となる「聖さ」。ですから今後、男女の付き合い方、セクシュアリティ、家族の関係、仕事のとらえ方、お金の使い方、社会問題のとらえ方などの違いを示す、「聖なる民」としての宣教の基盤をTCCに形作りたいと思います。