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礼拝メッセージ

わたしがそれです
ヨハネ18:1-11

僕らは、自分よりダントツに優れた人のそばに長くいるのはしんどいし、その差があまりに大きいと崩れ落ちてしまう、そんな弱さを持つ者たちです。相手が人間であってそうなら、神の前ではどうなるのでしょう。イエスが、「わたしはある」との神宣言をひとこと口にしただけでローマ帝国の正規軍がのけぞって倒れたとあります。聖書は、人は神の前には立てないと何度も語ります。なら、最後のさばきの場で、聖なる、聖なる、聖なる神を前にして、僕らはいったいどうなるのでしょうか。

だいたい、最後のさばきというものはあるのでしょうか。全人類の持つこの普遍的な問いに対する答えは3つです。世俗主義は「そんなもんはないから、好き勝手に生きろ」と言い、伝統的な宗教は「あるに決まっている。だからちゃんと生きろ」と言います。でも福音はこう言います。「さばきの日は来るけど、さばき主自身がやって来て、そのさばきを受けてくださった。だからあなたは裁かれず、無罪だ。あなたは神の前に立てる」と。これがイエスを信じる私たちへの最終的な判決文なのです。

人の子イエスの語った「わたしがそれだ」「わたしはある」の神宣言は、人類史上最大の宣言でした。また、最後のさばきがあるとしたら僕らはそこに立てるのかという問いは、おそらく最大の問いでしょう。またそれに対する最大の解決が、裁判官であるイエスが僕らの身代わりとなり、さばかれて下さったということ。そして今、僕らには、この恵みをまだ知らない人たちにこのことを伝えるという、人類史上最大の使命が与えられているのです。