イエスとマタイの食事
マタイ9:9-17

パリサイ人が、イエスがマタイをはじめとする取税人、罪びとたちと食事をしているのを見て非難したのは、それによる汚れの感染を恐れていたためでした。律法の食事規定はこの感染を防ぐための方策だったのです。イエスは言われます。「あなたがわたしと関係を持つなら、きよくなかったあなたが、わたしのきよさに感染する」と。この「逆感染」こそが、イエスにあって働く、世とは正反対のダイナミズム。イエスと接する時、世とのかかわり方が、僕らにおいても完全に変わるのはこのためです。

クリスマスはこの「良き感染」のスタートでした。神ははるか彼方の遠隔地に鎮座しておられる神ではなく、また僕らに規則だけ与えて、「これに合格したら、あなたはきよくなって、最後はこの汚い地球を離れて、私と一緒に暮らせるようになる」と言う方では決してありません。逆に、この汚染された地球に来て、神のいのちを僕らに感染させるために起こった出来事、それがクリスマスだったのです。

僕たちクリスチャンの神観は、静的なものではなく、たった一人の人間でもありません。それはダイナミックに脈打ついのちと愛であって、永遠に続く一種のドラマであり、一種のダンスだとCSルイスは言います。すごい表現ですが、この父、子、御霊の三者三様の人生ドラマが、ダンスが、僕らの現実の人生の中に脈打っており、このほとばしる泉にアクセスする以外に、僕らの幸せはないのです。そしてそれを受け取り伝搬していく唯一の方策が、「良き感染」にかかることなのです。