「少年イエスのエルサレム残留事件」では、心配して捜しに来たマリアとヨセフに対し、「どうして私を探したのですか。私が父のところに居るのが当然であることをご存じなかったのですか」と逆に彼らを叱責しました。この時イエスは、成人を前にして、自分が誰なのかを本当の父から教えられたのではないかと想像します。と同時にこの箇所から、たとえ自分を信じ愛する人々に対しても、イエスは混乱をもたらすことがあるとわかります。
イエスは、このエルサレム訪問後、家に帰り、公生涯に入られるまでの18年間、マリアに仕えられます。両親にとってこの時のイエスの行為の真意は、結局わからずじまい。ですがマリアはこれらのことをすべて心にとどめておいたとルカは記しています。僕らはこの、僕らをしばしば混乱させ、惑わせ、不安に陥れるイエスに信頼すべきなのです。それはイエスが、混乱の中にあるあなたを愛し、あなたに全力で仕えて下さる方だからです。
エマオ途上の二人の弟子たちは、イエスのなさったことが理解できず、やはり混乱の中にいましたが、その時イエスは彼らに「これは必然なのです」と語りました。救いのための必然が、僕らには理解できず、時に混乱します。でも、クリスマスに始まるイエスのご生涯は「仕えられるためではなく仕えるために来られた」ご生涯でした。そのことに信頼し、マリアがそうしたように、僕たちの人生において、イエスについて知っている情報の断片を、信仰を、イエスご自身を、心のうちに大切に育てていきたいものです。