自分から変身して熱帯魚になり話しかけない限り、魚たちは飼い主のことはわからない。いくら魚たちのために環境を整え、エサをあげ、心を込めて世話をしても、魚たちの自分への思いは「恐怖」であって、人間の神への思いもこれと同じ。だからそれを変えたい、愛していることを伝えたい・・・神が受肉されたモチベーションはこれだったとフィリップ・ヤンシーは語ります。
ザカリヤとマリアの対比。同じく天使に話しかけられ、また同じく疑いをもって質問をぶつけながら、片や閉ざされた心、片や開かれた心で接した両人でした。その結果、片やしゃべれなくされ、片や祝福を受け救い主の母となります。自分は人生の運転席から降りないと決めて投げて来る質問と、謙遜に、もし真理があるならそれに従うという思いで投げる疑問は違いました。さてあなたはどちらでしょう。
「み言葉通りこの身になりますように。不名誉極まりない人生も御心なら受け入れます。」15歳にも満たなかったであろうと言われる幼気なマリアに人類最大の貢献ができたのは、彼女がこう言ったからでした。ですからこのマリアのように「自分には正解は見つけられませんが、あなたがそういうお方なら、救い主なら、今知っていることを横に置き、キリスト第一で生きていきます。」と自分自身の人生から慎重に手を引くこと、それがあなたがダイナミックな人生を生きるカギなのです。