イエスはなぜ十字架にかかられたのか?それは地獄を見るためだったのです。からだの渇きも、魂の渇きも、最後は僕たちを死に追いやります。そして魂の渇きは、神以外のものを心の中心におくところに発生する現象です。主は十字架上で「わたしは渇く」と言われました。苦痛や痛みを一切語られなかった主が、渇きだけを口にしたのは、それが地獄を経験したことの証しだったのです。
その後イエスは「完了した」と言われましたが、これは「やり遂げた」という勝利宣言でした。主は僕たちが神のもとに行くのに必要なことのすべてをやり終えられました。ですから完成された愛を受け取ることだけが、僕らの今なすべきこと。にもかかわらず僕らは、キリストの業を今も完成させようとしているのです。だからどこかで優越感を得ようするし、自分の重要性を確認しようとする。それはキリストのみ業が「完成済み」ということを知らないからなのです。
恋に夢中、仕事の虫、あるいは人とのかかわりにまい進するなど、中毒症状はいろいろです。が、それらはすべて、自分を完成したいがための行動で、人は常に自分の価値を証明したいのです。また十字架のもとでは人間関係が劇的に変わります。以前のように自分を悩ませるものは何も無く、自分を支配するものは無いというのが救われた者たちの状態です。2024年は、更なる信仰の深化と十字架理解を通し、そのような劇的変化を経験する年としたいものです。