出エジプトのテーマは、脱出、解放、自由ですが、モーセはファラオに「神を礼拝するために民を行かせよ」と言いました。生ける神に仕えない限り僕らは罪の奴隷だからです。誰もが何かのために生きていますが、真の解放と自由を得るために必要なことは、主人を持たないことではなく、神に主人となっていただくことなのです。
人生で悪い事が起こると、僕らはつい神に見捨てられたと思ってしまいます。でもその時こそ神は臨在され、その大変な出来事の舞台裏で、僕らの救いのために働いてくださっているのです。イエスの十字架がまさにそれでした。「なぜお見捨てになったのですか」の祈りの裏で、全ての人に通用するall mightyの救いが準備されていたのです。
当時の助産婦は子のない女性の仕事でした。が、彼女らの創造的不服従という神のための働きに対し、神は「家を栄えさせた」、つまり子を与えられたとわかります。神は名もなき者、排除されている者を用いられるのです。同じようにイエスご自身が力によって救いを成し遂げられたのではなく、その救いは権力を放棄することで成し遂げた救いでした。
ですから僕らも、自分の奉仕ゆえにではなく、このイエスのなされた奉仕のゆえに救ってくださいと祈りましょう。「ダメな自分ですが、イエスのなさったことのゆえに私を受け入れて下さい」が僕らの捧げるべき祈りです。イエスを見、その上で出て行くなら疲れることはありません。モーセの指し示す方をしっかり見て、世の正義のために働きましょう。