牧会歴34年の高橋秀典師は、ある時、自分は非常に傷つきやすい人間であることに気づいたと言う。クリスチャンは、強いはず。傷つきやすいのは信仰が足りないのではないかという考えを持つ人もいるが、詩篇は、ダビデも、イエスも、我々と同じく傷つき悩んだことを教えてくれている。
イエスが「わたしの心は騒いでいる」と打ち明けられたのだから、自分も強がる必要はないと知った。自分の寂しさは、イエスの感じられた寂しさなのだ。そして「わたしのたましいは打ちしおれています」「わたしは悲しみのあまり、死ぬほどです」と、自分のすべての思いを隠さず表現するのが、神の御子のなさり方なのだ。
「神よ、御顔を隠さないでください」「早く答えて下さい」「私をなじる者をさばいてください」「彼らの名をいのちの書から消してください」「私は卑しめられて痛んでいます」これら読むと、イエスも自分と同じ悲しみを感じられた、だから神は自分のことをわかって下さっていると分かる。そしてこの安心を得た時に初めて、他の人に対してもやさしい言葉を語ることができるのだ。