僕たちは人生の回り道をしています。それは間違った仕事、会社、人間関係など。でも実際僕らは、その荒野のど真ん中で神と出会うのです。それも何度も。これがマクロの回り道。つまり、回り道のように見えて、これは霊的現実と出会うためのメインストリートなのです。
もう一つ回り道があり、それは脇道にそれて何かがうまくいかない時、日常のルーティーンから離れ、神の語り掛けを待つこと。思いめぐらし、何かを探求する。モーセが燃える柴を見に行ったのはこれでした。スピリチュアルな出会いを体験するには、この2つの回り道のセットが必要なのです。
荒野に逃れて40年、人生の裏道にいたモーセは、燃える柴の中でイエス・キリストに出会います。モーセは燃える柴としてエジプトに向かいますが、今や僕らも、燃える柴として働くことができるのです。それはイエスの十字架によって、至聖所の幕が裂け、火なる神を内に頂くことができるようになったからです。
あなたは燃える柴ですか。神の美と、神のきよさを頂き、普通でない光に燃えていますか。しかしイエスキリストゆえに、あなたは燃え尽きないでおれるのです。もしあなたがクリスチャンで、燃える柴になりたいと思うなら、まず回り道をしましょう。一人の時間を持ちましょう。そして燃える柴となるよう、時間をかけて熱くなりましょう。