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礼拝メッセージ

主とは誰か?
出エジプト7:14-18,10:21-29

神の命令を守らない人に対して、神は何の罰も用意しておられず、そこには自然の成り行きのみがあります。神の命令が自然であれば、それを守らない人の迎える結果も全く自然なのです。神は我々に「わたしより大切なものを作るな」と命じます。たとえば仕事が神より大切になるなら、それを続ける限り、その人は家庭崩壊、からだの崩壊を経験し、最後は塵に帰るからです。「人を赦せ」の命令も同様で、守らなければ、心の崩壊と人間関係の崩壊をきたすのです。

出エジプトの災いのすべては、天地創造(創世記1~2章)の裏返しで、秩序が混沌に帰ったということでした。見た目はエジプト人への神の鉄槌ですが、出エジプトのテーマは「さばきによる救い」で、それと同じことがマタイ27章で起こったのです。十字架の場面でイエスが「わが神、わが神」と叫ばれ、全地が暗くなったのは、神の正義の災いと創造以前の混沌が、すべてイエスの上に降りかかったからでした。が、これこそが究極の出エジプト、エクソダスだったのです。

僕らにはこの「さばかれたさばき主」がいます。だから僕らのこの神への従順には、努力と休息のバランスがあるのです。失敗しても、うまく生きられなくても、騒がなくていい。それは、神がすでにさばかれてくださったから。言い換えると、全ての災いがあなたの救い主の上に降りかかったということです。これこそが、主に在る自然の秩序の回復なのです。そして僕らが最終的に従うべき主とは、僕らの心の設計者、あなたの魂の癒し手です。僕たちは、ここにある大いなるバランスに生かされている者たちなのです。