僕らはどれだけ復活を信じているでしょうか。それが簡単に信じられないのは、世界観が邪魔しているからです。宗教は信じない、社会として好まない、これが今の日本の世界観です。世界観は元々安定したものであって、これに合わないものは無意識のうちに拒絶し、見たことすら気づかず、受け流し、笑い飛ばします。が、これが1世紀に崩れた。パウロの書いたコリント人への第一の手紙には、500人が復活のイエスと出会ったとあり、彼らは死をも恐れぬ集団になっていったのです。パウロは牢獄でアグリッパ王の尋問を受けますが、その時パウロは「私がこれほど大胆になれるのは、復活が真実だったからです。」と答えました。復活は、真実と信じることが出来た時だけあなたを最後まで導くものとなるのです。
またステパノはイエスが最初の昇天者だったことを知らないわけではありませんでした。が、あの石打の刑の時、聖霊が、彼が知的に知っていたことを、現実にしたのです。彼が「父よ、彼らをお許しください」と微笑みながら死んだのは、復活が真実だと知ったからであって、「もし自分に神の微笑みがあるなら、地上のしかめっ面は大したことじゃない。もし私に神の称賛があるなら、地上の非難は取る足りない」と思えたのです。あなたもそんな大胆さを持ちたいと思いませんか。復活を信じなさい。復活はあなたの人生に、これまで経験したことのない深みある挑戦を与えるでしょう。その時、千年後の人類があなたの名を知ることになるかもしれません。