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礼拝メッセージ

新しい都市@ペンテコステ
使徒2:1-18

ペンテコステには聖霊の火が下りましたが、火の柱、燃える柴など、これまでも神はご自分を火として表わされました。それは神の力強さ、純粋さ、聖さ、美しさを表すと同時に、近づきにくさも示すものでした。「あなたは弱さを持つから神には近づけない」という、隔ての壁の象徴が火だったのです。ですからシナイ山における最初のペンテコステでモーセは岩の間に身を隠したのです。

しかし二番目のペンテコステでは、すべての信徒に聖霊の火が下り、その時以来、我々はそれに動かされる者となりました。ですから我々は、火であり、風である聖霊を感じるはずで、それは自分が恵みによって救われた事実を伝えたいという思いです。火が皆に下ったことで、福音宣教は皆の務めとなったのです。

なぜ初代の教会はこれほどまでに広まったのか。それはイエスが十字架上で火の洗礼を受け、我々の受けるべき報いを全部受けて下さったことにより、愛と律法を同時に満たす世界が始まったことを彼らが理解していたからです。我々も、神が我々のために何を為してくださったか、その御業を語りつつ山を下りるのです。その時、自分のために死んでよみがえられた方のために生きる人生が、我々にも始まります。(Ⅱコリント5:14-15)