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礼拝メッセージ

都市における喜び
使徒8:4-8,26-39

パウロの伝道戦略は、徹頭徹尾「都市中心」、だからこそ「この地方には私の働くべき場所は残っていない」と断言できたのです。都市は新しい情報にオープンで、人の移動による情報の拡散も期待できる・・・それゆえ都市に福音を植え付ければ、時間と共に国全体に影響を及ぼせるとの確かなイメージが、パウロにはありました。

「寄留の民」はクリスチャンの霊的状態であり、このことをリアルに認識させるために、神は時にクリスチャンを、あえて物理的に散らすのです。迫害による離散は、その意味で神の采配でした。離散することで彼らの古い根は断ち切られ、新しい根は天国に向かいました。そのことがどこにも支配されない自由さを彼らに与えたのです。

ピリポが「汚れた土地」サマリアに入り、「枯れ木」と中傷される宦官との出会いに導かれたのはなぜか。それは「私の契約を守る宦官には神殿を与える」(イザヤ56:3-5)という、神の驚きの福音を実現するためでした。福音は、優越感に浸っている人には自分はけがれていることを知らせ、劣等感に苦しむ人には神の愛を知らせるのです。

福音によって変えられたクリスチャンが心に望むのは、ただ生き残ることではなく、町全体が喜びに満たされること。あなたは、東京が幸せな場所になることを切望するほどに、優越感や劣等感から脱却できているでしょうか。これが散らされた先でピリポの見た景色でした。もしあなたも同じ景色を見るなら、町には大きな喜びがあふれるでしょう。